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渋谷甘味倶楽部

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劇団四季『ジーザス・クライスト=スーパースター』東京公演開幕を祝す会(ごめんなさい無駄に長い語りになっちゃいました編) 

2011.04.15

♪だーれだあなたはだーれだ~


南(晶人)くんハンシェンの場合、
「ハンシェン・リーロウだけど何か?」
とかゆう!!!
ぜってーゆう!!!!!!
あのドS炸裂のまなざしで!!!!!!


……ええ、『春さめ』大好きだ!!!!!!




てなかんじで
『ジーザス・クライスト=スーパースター』開幕
おめでとうございます!!!!




『ジーザス・クライスト=スーパースター』東京公演、開幕!





わーわーわーわー!!!!!



パチパチパチパチ!!!!!



本日も神々しきお言葉たち&拍手喝采を頂戴しまして、
たいへん
ありがとうございます!!!!!!

ちょいと間があいてたのは、実は『ジーザス』初見のお友だちのごほうこくをお待ちしてたからなのでした。

で、そのお友だちからいただいたのは、一言。




「壮大なユダのツンデレ物語だった」




……大 爆 笑!!!!

だがたいへん的確な表現だと思うなあ。

さすがお友だち……(笑)。


で、あたくし個人としては、以前から申し上げてますが、エルサレムバージョンは確実にスルー……(遠い目)。

じわじわとかなしい結末に向かっていくのは、

どんな拷問だ!!!

と本気で思うので。


しかし四季ファンとしては、ジャポネスクは拝見しておくべきな気も……(ループ)。





やっぱ『ジーザス』の何がつらいって、最初っから「主人公は必ず死ぬ」のがわかってることなんですよ。
だから途中で、一瞬希望が見えるよーな場面があっても、結局ぬか喜びなのはわかってるから、無駄に終わる。

民衆に慕われて、でも裏切られて死を迎えても、「スーパースター」として「永遠の存在」になったんだからいいじゃん?
とか、
神として崇められた人間の苦悩は、それでも民衆を許すそうとする「本物の慈愛」に昇華されるから、大団円じゃん?
とかゆう解釈もできると思うのですけど、『春さめ』のもりもりピストルシーンで泣けないあたくしは、ジーザスの死に様はなっとくいかん!!!(爆)

死に至るまでの方法として、ジーザスともりもりはぜんっぜん違うんだけど、前にも申し上げてますが、あたくし的には「死」とはすべて同じだとゆう考えです。自分の意思が働こうが働くまいが、どんな原因であろうとも、「生命活動の停止」なる状態は、生物全部に当てはまるからです。

つまり何度も何度も申し上げてますが、「死」が「つらい」のは、残されたほう、生きてるほうにとってなんですよね。


だもんで、舞台を見る前から「ジーザス」が「死」に至るのは定石で、それを一部始終見せられる「生きてるほう」の観客としては、
どーーーーーーーしても

つ ら い ん だ!!!!(涙)

そーすると、いっしょうけんめいジーザスに仕えたマグダラのマリアの愛とか、最終的に裏切るとしても、それまで同じくひたすらジーザスに注いだユダの愛とか、ぜんぶ無駄に終わるんじゃん。結局は報われない愛を見せられるんじゃん。
ちゅーとハンパな希望とか、うすっぺらい期待とか、そーゆー類のものはほんとにクソだと信じてるので、なら意味ねえじゃん!! とかむなしくなってしまう。



そもそもキリスト教とか西洋文化圏の宗教って、血で血を洗う「争い」の末に成り立ってるものが多いですよね。
つまり西洋的考えとゆうか価値観は、「つらいもの、かなしいもの、くるしいもの」といったネガティブなものは、「排除すればいい」ってゆうのが基本。西洋医学の歴史とか見ればいちばんわかりやすいんだけど、例えばがん治療に対しては、がんの部分をさっさと切除すればいい、悪いものを取り除けばOK、みたいなケースが王道だったりする。まあもちろん最近は、だいぶ変わってはいますが。

その点、東洋文化圏における宗教は、仏教に代表されるよーに、「共存」が基本なんですよね。お釈迦様は殺生を禁じたし、ご自身も最後まで寿命をまっとうされたし、たいへん平和的です。例えば、東洋医学の代表として、中国の漢方とかの歴史を見ると、「医食同源」、ようは「取り除く」より、「自分の体内にいるものは、すべて自分の中で共存させて、改善させる」のがベースにあるんだと思うんですよ。

どーもあたくしの場合、いとこがふつーに比叡山帰りのせいか(笑)、東洋的な考えのが好きとゆうか、腑に落ちるとゆうか、そっちの傾向にイっちゃうみたいです。

なので、もしジーザスがあのまま静かに死を待って、受け入れて、それでも裏切り者を許して、ってゆう究極の自己犠牲なんかしないで、さっさとケツまくって逃げ出して、どこまでもどこまでも逃げて、しぶとくいつまでも生き延びて亡くなった、ってなれば、めっちゃくちゃ大好きな作品になるんだけどなあ(爆)。


夭折したひとは、「伝説」として永遠に語り継がれる場合が多いんだけど、でも「かっこよく死ぬより、ぶざまに生き延びる」ほうがいいと思うんだよねえ。
だって生きてりゃほんっとどーにでもなるもん。
犯した過ちを正すことだって、間違えた過去の解釈を変えることだって、新しいものを作り出すことだって、なんだってできる。



とゆーのも、ご来訪同志の方々からいただくお言葉に、「みらいさんは批判をしない、悪口を絶対にいわない」とかってゆうのがけっこうあるんですよね(ありがとうございます!)。
でもねえ、実は意外と批判はしてるんだよ(笑)。特に「アルプ」とか!!(爆)

だけど「批判しない」ってゆーふーに受け取られるのは、たぶん言葉をちゃんと選んでるからなんですよね。
職業柄っつーのもあるんだが、批判するにしても、評価するにしても、ただそれだけだと、言葉だけを見る読み手はぜったい納得してくれない。そーゆー意味で、「ふざけんなあいつ!!」だけの批判も、「さいこーだぜあいつ!!」だけの評価も、「読み手が納得できない」のであれば、実は同じなのです。
「感情」だけを吐露するのは簡単だし、そんなの子どもだってできる。むしろ子どものが豊かな表現したりして、びっくりすることも多い。
すべてを言うのは、本人だけの究極のゴーマンで、あたくしはそーゆー類のものが大の苦手です。特にネガティブな感情表現だけするのは、ものすごく危険だと思っている。それは本人がすっきりするだけで、無自覚な分よけい始末が悪い。言葉とゆーものは、どんな媒体を通じてであろーとも、どんな受け手(読み手)がどんだけいよーとも、自分から発した場合、必ず責任が伴うものだからです。


だからふつーに生きてさえいれば、リカバリできるんですよ。
批判とか、うすっぺらい正義感とか、カスみたいな希望とか、健康なひとに「あなたも怪我しなよ。そうすれば怪我人の気持ちがわかるから」とかすすめる愚の骨頂的な同族意識とか、「被害のなかったところから盛り上がってください」とかゆう自己陶酔的な自粛意識とか、ネガティブなことばっか自分の感情でのみ言葉で発信してても、修復できるんですよ。
「どうやったら納得してもらえるだろう」って、言葉を、理由を、態度を、考えて選びながら生きていけば、きっと「相手に納得してもらえる」日が来るんですよ。

そーゆー意味で、やっぱジーザスには生き延びてほしいんだよなあ……(笑)。




とゆーわけで、お付き合いくださった方々、ありがとうございます(笑)。

祝す会っつーより語りになっちまったが、

まあいいか!!(爆)

しかし四季ファンとしては、ジャポネスクは拝見しておくべきな気も……(ループ)。





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